猫間川跡

猫間川川浚碑
猫間川川浚碑

南から北へ流れていた川で、その名の由来は「もとは寝駒川」「寿永時代の頃、猫間家の所領」などの諸説が残る。豊臣秀吉の大坂城築城に際し、猫間川は一部改修されたが自然の東惣構堀の役を担った。天保9年には玉造富裕町人である佐々木春夫が資金提供した御救川浚で川は拡幅され、その際植えられた萩、桜や楓が素晴らしく多くの見物客が訪れた。また、川浚記念碑を氏神である玉造稲荷神社へ奉納し、現在でも当時のまま保存されている。大正末期には埋め立てられ現存しないが、この猫間川以西が玉造として多くの文献に記されている。