玉造稲荷神社分社(旧社名 東雲稲荷神社)

浪花講 講看板
浪花講 講看板
浪花講定宿帳
浪花講定宿帳
諸人成田山参詣之図  戊辰戦争下の新政府側と旧幕府側を旅に見立てて描 かれた風刺絵。新政府側(左)は浪花講中ののぼりを 持ち旧幕府側(右)は江戸講中ののぼりをたてている。
諸人成田山参詣之図  戊辰戦争下の新政府側と旧幕府側を旅に見立てて描 かれた風刺絵。新政府側(左)は浪花講中ののぼりを 持ち旧幕府側(右)は江戸講中ののぼりをたてている。

現在、玉造稲荷神社分社の地は江戸時代に玉造を代表する町人である松屋甚四郎、その手代源助が「浪花講」を設立した場所にあたる。甚四郎は唐弓弦師として全国を行商した経験から、当時の旅は安全性が乏しく、旅人に安全で信頼のおける旅を提供しようとこの組織を設立した。

この「浪花講」は、現在の協定旅館・旅行斡旋業の祖とされ全国へと広がった。全国各地の旅籠などの軒先には「大坂・浪花講」の看板が掲げられ、旅人らはそれを目印に安心な宿をとる事が出来た。