江戸時代大坂城の南側に杉山と呼ばれた小高い丘があり、二月の初午では稲荷詣で帰りの遊興客でたいへん賑い、紙鳶揚げの恰好の場ともなった。
当時の様子は「摂津名所図会」や「浪華の賑ひ」などで見る事が出来る。この杉山は、明治初期の大阪砲兵工廠建設の際に削り取られ跡形も無くなった。